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【乳がんと私】乳房再建とは前向きに生きること(miさん 50歳)

乳がん情報サイトBC&Meでは、乳がんと診断されてから、治療、そしてその後の日常生活までをサポートする情報を発信しています。

乳がんと共に素敵に生きる女性を紹介する「乳がんと私」。今回はmiさんのストーリーをご紹介します。

とてもやわらかい女性らしい印象のmiさん。突然の乳がん告知から、納得のいく治療を求めて三重から東京に上京、また乳房再建についても各地の講演会を周り、精力的に勉強されるなど、見た目の印象とは異なる、活動的なお話がたくさんでてきます。

まずは、信頼のおける主治医にめぐり会うまでのお話でスタートです。

keyword

全摘、乳房再建、自家再建、ホルモン治療、仕事との両立、穿通枝皮弁法

*診断時の年齢を表示しています。体験談の内容はインタビュー当時のもので、現在とは治療内容が変わっている場合もあります。またこの体験談は個人の体験に基づくものであり、具体的な効果効能を保証するものではありません。

miさんと乳がん

若いころから健診をすると乳腺症で擬陽性になってしまうため、10数年以上受けていなかったが、ある日ふと「今健診を受けなくてあとでみつかったら大変なことになる」と思い立ち、ちょうど会社の健診の時期だったこともあり受診。やはり擬陽性となり、細胞診となったが結果は陰性。その後、半年毎に検査をうけることが2年続いたとき、もう少し詳しい検査をしましょうと腫瘤(しゅりゅう)の摘出手術をしたところ、2cmほどの腫瘤がとれ、病理検査の結果、乳がんと診断される。

ーーBC+Me(以下省略):グレー判定が何度も続いてその都度、細胞診をしてこられました。最後は細胞ではなく腫瘤の摘出をすることになったんですね?

miさん(以下省略):簡単な検査だと思っていました。マンモトームか腫瘤(しゅりゅう)摘出かどちらにするかと聞かれ、腫瘤摘出をなんとなく勧められている気がしてそちらを選びました。

手術室で部分麻酔されて1時間ほどかかって腫瘤をとりました。まるっきりの手術でした。術後はボリュームがもともとなかったので胸がへこんで。そういう説明が事前になかったのでショックでした。

一週間後に乳がんを告知され、「温存はできるけど、がんが乳首に近いから形は保てない、温存にするか全摘にするか決めてきてください。再建はどうしますか?」と言われました。

もう頭が真っ白で、そんなこと言われても受け入れられない。全摘か温存どちらかなんて自分では選べなくて。

それで医療に詳しい友人がいたので、乳がんの体験者の方を紹介してもらおうとメールで連絡したんです。そしたらすぐに電話がかかってきて、「いい先生を紹介するから東京にでてきなさい」と。

そのときの地元の病院の先生は乳腺の専門医といえども他の科とも掛け持ちをしていて、やっぱり症例数も少ない。なにより地方で情報がなくて、他にも治療法があるかもしれないのに、知らずに後悔することになるのはイヤだと思いました。

そこでその友達に紹介してもらって東京のA先生にセカンドオピニオンをお願いすることに決めました。

ーーそのとき、働いていらっしゃったわけですが、会社にはどのように伝えましたか?

がんがわかったときにすぐに会社に伝えました。20人ぐらいの部署にいて、男性の上司に伝えたところ、「みんなで応援したいからみんなに話してもいい?」と言われました。そのときの私は気持ちに余裕がなかったので、すきにしてください、って気持ちで(笑) 

私が検査で会社を休んでいる間に部署内には伝えたようなんですが、病名は話していなかったようだし、みんなも声がかけづらいみたいで。この人病気のはずなのになんで出社しているの?みたいなへんな空気感が嫌でしたね。

結局入院直後に組織変更で私の居たグループは別の居室に移ることになり、結果的に話さなくても良かったのに…と思いました。

ーーその後、東京の病院でA先生のセカンドオピニオンを受けられたのですね?

がん告知から3週間後でした。その先生はとても著名でお忙しい先生なのですが、泣いて話せなくなってしまう私の目をずっと見て、私が話し出すのを待っていてくれたんです。

それでこの先生に診てもらいたいと思いました。 地元の病院では全摘か部分かどっちか自分で決めて下さい、と言われただけだったのですが、東京のA先生は病状についてしっかりと説明してくれました。

「一か月後にMRIの検査と診察に一泊で来られる?」 ・・・患者として受け入れてもらった瞬間でした。

腫瘤を摘出してしまっているので、その穴が埋まる1ヵ月後にMRIをとって、治療法を決めることになりました。その結果A先生からは「部分切除だと乳房の形は残せない、再発も心配、全摘でキレイに切って再建したほうが前向きに生きられるよ」と提案されました。

このとき、「前向きに生きられる」って言葉が先生から聞けるとは思ってもみなくて。私、がんなのに前向きに生きられるんですか?って。この言葉が私の心の支えになりました。

「キレイになりますか?」と聞いたら「キレイにできるよ、形成外科医にとってはひとつひとつが作品なんだ、キレイに作るよ」と言われて。この言葉を信じて、全摘・再建を決めました。2014年の6月の終わり、50歳のことです。

ーー地元の先生とずいぶん印象が違かったんですね。

地元の先生のときはがんと告知されたばかりで、自分のほうに受け入れる余裕がなかったということもあるんですが、ただ手術方法をどうするかだけの話しかなかったと思います。悪い先生ではなくとてもまじめな先生ですが。

切除手術したら乳房の形はもう保てないよ、というふうにそのときは聞こえてしまいました。こうすればキレイになれるよ、というフォローがなかったんです。 それからセカンドオピニオンを受けたい、と言ったらちょっと不機嫌になったように見えて、次の診察の予約もありませんでした。見放された気持ちになりました。

セカンドオピニオンの当日まではまだ東京の先生が受け入れてくれるかわからなかったので、私のことは誰が診てくれるのだろうかとそのときはとにかく不安でした。

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