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【乳がんと私】 乳がんで広がった新しい世界(よちさん 41歳) 

乳がん情報サイトBC&Meでは、乳がんと診断されてから、治療、そしてその後の日常生活までをサポートする情報を発信しています。

乳がんと共に生きる素敵な女性を紹介する「乳がんと私」。今回はよちさんのストーリーをご紹介します。突然の乳がん告知から、不安な気持ちを乗り越え、周りに感謝しながら前向きに生きることができるようになるまでのストーリーです。

keyword

全摘、ホルモン治療、抗がん剤、副作用対策、ウィッグ、アロマ、仕事との両立、患者会、子育て

*年齢は診断時のものです。体験談の内容はインタビュー当時のもので、現在とは治療内容が変わっている場合もあります。またこの体験談は個人の体験に基づくものであり、具体的な効果効能を保証するものではありません。

Contents

まさか私が… 41歳で突然の乳がん告知

市民健診の乳がん検査で要精密検査

2014年8月、41歳のときに市民健診で乳がん検査を受けました。

乳がん健診は40歳からのため、初めて市の健診で受けられる年でした。それまで、自分が乳がんになるなんて考えもしなかったし、胸に変化を感じたこともありませんでした。検査はマンモと触診が行われました。

同月の終わりごろ、市から健診の結果がとどきました。

結果は要精密検査。

ドキッとしました。が、まさかそんなことはないと思いました。というのも、健診時の触診で「大丈夫、異常ないですよ」と言われていたからです。

検査結果の用紙に書かれていた病院に電話をしました。私の家から通える総合病院は2つ。一つ目の何度か利用したことのある病院に電話をしてみました。が、電話口の方に「○時~○時が予約時間の電話なので、その時間に電話して。でも電話してきても予約は取れませんよ」と冷たい言い方をされました。

電話口の対応がとても冷たく感じ、もう一つの、今までかかったことのない総合病院に電話してみることにしました。すると「○曜日は当日予約を受け付けているので、その日に来てください。他の日は事前予約でなかなか予約が取りにくく数ヶ月先の受診になります。当日予約なら、かなりの時間を待つことになるけど、必ず診てもらえるから、どうぞ来て下さいね。」と言われました。

市から書類が届いてから不安だった気持ちと、最初に電話したB病院の冷たい言葉でショックを受けていたので、A病院の電話口の方の言葉に救われたような気がし、A病院を受診することにしました。

触診で大丈夫なはずが… 乳がんと診断される

診察までかなりの時間を待ちました。でも触診で大丈夫と言われているのだから、まさか乳がんなんて考えもしませんでした。きっと乳腺が張っているときにマンモをやったからだろうと気楽に考えていました。

これって告知?っていうくらい先生の言葉は普通でした。

「かなり高い確率で悪性です。」

そう言われ、声が震えました。その後すぐに細胞診を行いました。 診察室を出た後、体が強張り、胸が苦しくなりました。

家に帰る道を運転をしながら、これからどうなるんだろう、と怖くて不安な気持ちでいっぱいでした。子供もまだ小学校2年と6年。子供の前では泣いてはいけない気持ちを押し殺すのに必死だったと思います。 その夜はこれから自分がどうなるのだろうか、死というのに直面した一晩でした。不安で怖くて怖くて体が冷たくなって眠ることができませんでした。

この日の細胞診結果がclassⅢだったため、翌週に組織診(乳腺コアニードルバイオプシー)をすることになりました。その結果、乳がんと診断されました。最初の受診から2週間後のことでした。

告知と同時にその後の治療や検査を示されました。CT、MRI、骨シンチを行い、術前抗がん剤、そして手術と。この頃には最初に感じた恐怖も薄らいで、気持ちも落ち着いてきました。

普段チェックしていても見つけにくい乳がんもある

市民健診の触診で異常ないよと言われた私。なぜその時に見つからなかったのか。私のしこりは、乳腺が硬く張っていてその下にあったため、触診では見つけることができなかったんだと思います。主治医もエコーでしこりを確認し触診するときに見つけにくそうにされていました。

乳がんは自分で見つけられらる癌だと言われています。でも私のように普段チェックしていても見つけにくいこともあります。マンモや触診だけではなく、エコーも必要だと感じました。

乳がんになっても仕事を続けられた理由

「がん=辛い闘病生活」 退職を決意するが…

初めに受診した時に「かなり高い確率で悪性」だと言われてから、何も喉を通らなく、夜も眠れずにいました。

しかし、とにかく出勤し、事情を説明しなければと出社しました。 私は2011年からパートとして働いています。時間も9時-15時と短い時間のパート勤務です。

「がん=辛い闘病生活、そして死」というイメージしかなかった私は、これからの闘病生活に向け退職を考えました。 部署の責任者の方に昨日の結果を言い、「退職しようと思っています。」と伝えました。

まだ告知されたわけではなかったんですが、このときは冷静さを失っていたんだと思います。どれくらい休むのかわからず、また休ませてもらえるのかわからず、自分が抱えている担当の代わりを誰かにやってもらわないといけない。ならば退職したほうがいいのではないだろうか…そう考えていました。

言葉に詰まり嗚咽まじりに申し出た退職。しかし、責任者の方から出た言葉は、私に前向きに治療に取り組む勇気をもらえるありがたい言葉でした。

「どんな治療になるのか、期間はどれくらいかかるのか、まだわからないのなら、退職でなく、休職という形をとってはどうか。あなたは頑張り屋さんだから辛くても頑張ってしまう。だから治療に専念する間の一年間は休職扱いにして、それでもまだ治療期間が長く仕事に戻れないとなった場合に、そこで退職としてはどうか。あなたが戻ってくる場所をちゃんと空けておくから。」

とても嬉しかったです。自分が今まで働いてきたことをちゃんと評価してくれているんだと感じました。その言葉を励みに抗がん剤を始める直前に長期の休暇をいただきました。

7か月で職場に復帰

しばらくして気持ちも落ち着いてきた頃、ようやく乳がんについて調べ始めました。

乳がんにはタイプがあり、それによって治療が異なること。

私の乳がんタイプは女性ホルモンに影響を受けるルミナルタイプでした。腫瘍の大きさが大きかったため、温存手術をするために術前抗がん剤をはじめました。

残念ながら腫瘍の範囲が思ったより小さくならなかった為、全摘となってしまいましたが。

抗がん剤、全摘手術を経て、ホルモン治療となりました。抗がん剤で髪の毛は抜けましたが、副作用が落ち着くと体も楽になり、手術後は普通の生活をすることができました。

長男の小学校卒業を見届け、中学入学を迎えた後、約7ヶ月で復職しました。

がんになり職場の態度が変わって仕事を続けることができなくなったという話を耳にします。

でも私の職場は違いました。同僚はとても親切で温かく迎えてくれました。 私が所属する部署は重い荷物や部品を持つことが多いのですが、私にできるだけ負担をかけないように配慮してくれました。

そういった対応はやはり部署の責任者の方の気配りがあったからこそだと思います。部署の上司である責任者にも恵まれ、同僚にも恵まれた環境で働いているのだと、今も感謝の気持ちでいっぱいです。

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